戦国筒井氏年表 No.7
元亀元(1570)年〜天正元(1573)年
* 印は閏月を示します。
西暦和暦日付事績
1570 元亀元 2/22 松永久秀が井戸城に井戸良弘を攻める。
    3/28 久秀が井戸城を落とし、井戸良弘は南方へ逃れる。
    4/5 井戸城が久秀方に明け渡される。
    6/6 久秀父子が十市城方面へ向かうが調略が不首尾に終わり、転じて福住城に押し寄せる。
    6/14 堀池・平等坊・室・豊井ら郡山衆が東山内で久秀によって生害させられ、久秀は郡山を襲い散郷を焼き払う。
    7/25 三好三人衆が河内に侵入、久秀父子が信貴山城へ出陣する。
    7/27 順慶が久秀の留守をつき、五百の兵を率いて十市城に入る。また信長に対抗する三好三人衆らが雑賀衆を誘い、摂津野田・福島に砦を構築、天満ノ森に布陣する。
    7/29 久秀方の箸尾氏が細井戸城を落とす。
    8/9 三好三人衆が淡路衆・安宅衆千五百人を率いて摂津尼崎に上陸、伊丹城を攻める。
    8/20 久秀が信長に従い三好三人衆と河内で戦っている隙に順慶が古市郷を焼き、高樋山に城を築く。
    8/21 順慶が福住城に入る。
    8/23 久秀の臣竹内秀勝が筒井衆と戦い、高樋城まで追い込む。当時松永方の中坊衆に少々負傷者が出る。
    9/12 石山本願寺が、海老江に進み野田・福島の砦に攻撃を加えた織田信長に対して挙兵、石山合戦始まる。
1571 元亀2 5/9 久秀が窪城へ押し寄せるが翌日に陣を払う。
    5/12 久秀父子が安見右近攻撃に河内交野へ出陣する。
    5/17 久秀が信長に背き、武田信玄に同盟を持ちかける。信玄はこれを受ける。
    5/27 久秀父子が多聞山城へ戻る。
    5/30 三好三人衆が高屋城に畠山昭高を攻める。
    6/12 箸尾為綱が久秀に背き、松永派十市氏と南柿森で戦う。
    7/3 久秀と甥の金吾が出陣先の藤井寺から戻り、久秀は箸尾へ向かう。
    7/4 久秀が箸尾から退き、法隆寺・龍田に布陣する。また吐山・簀川氏が守っていた郡山の付城で吐山氏が筒井方に寝返り簀川衆を討つ。
    7/5 筒井勢が櫟本の付城を落とす。
    7/18 箸尾勢が川合の付城を攻めるが失敗する。
    8/2 筒井方が辰市に城を築く。
    8/4 辰市城へ久秀・三好義継勢が攻め掛かるが大敗、多数の討死衆を出し多聞山城へ逃れる。(辰市の戦い)
    8/5 越智氏が新賀に城を築き箸尾為綱は森屋城を攻めて十市郷を侵害するとの風聞が流れる。
    8/6 順慶が筒井城を回復、久秀方にあった高田・野垣内・番条・森屋蔵堂城も奪回する。久秀は信貴山城へ入る。
    8/7 布施衆が高田氏の出城を攻め落とす。
    8/10 久秀方にあった超昇寺氏が寝返り、木津氏に応じる。
    8/14 越智・箸尾氏が十市氏の久秀派を攻め、十市郷を略取する。
    9/7 筒井勢が古市方山田氏を攻める。
    12/19 筒井氏が総勢を出して十市城へ押し寄せる。
1572 元亀3 3/16 順慶が箸尾為綱・岡某とともに各地で久秀方と戦う。
    3/21 順慶が京へ上る。
    3/26 十市氏の内久秀・順慶両派で進められていた和睦が破れる。
    4/29 大安寺の門付近で多聞山衆(松永久通麾下)と筒井衆が戦う。
    5/9 順慶は南大門に、信長軍は多聞山の北を包囲して布陣するが、午後には陣を払う。
    5/17 足利義昭が久秀の重臣岡周防守に武田信玄の上洛を報じて協力を要請する。
    7/10 十市後室・御料の二人が久秀方の柳本城に入る。
    8/19 柳本城において森本左京が自害、伊源二郎らが捕らえられる。
    11/19 久秀が片岡近辺にて二日にわたって放火する。
    11/22 多聞山衆が今市へ出て放火するが筒井衆が追い返す。
    12/22 武田信玄が遠江三方ヶ原で徳川家康と信長の援軍を撃破、織田方平手汎秀は伊場で戦死、家康は浜松城に逃げ帰る。(三方ヶ原の戦い)
1573 天正元 1/8 松永久秀が名刀・不動国行を岐阜城の織田信長に献上する。
    3/30 将軍義昭が三好三人衆・松永久秀らとともに、信長方京都所司代村井貞勝の屋敷を包囲する。
    4/7 信長が名代の細川藤孝らを将軍義昭のもとに派遣し正親町天皇からの和睦勧告を伝え、義昭もこれを認める。
    4/12 武田信玄が労咳のため甲斐への帰国途中に伊那駒場で病歿。享年53歳。
    4/28 信長と義昭が起請文を交わし、正式に和睦する。
    6/13 義昭が信長との盟を破って挙兵を企て、兵糧米の送付を毛利輝元に依頼する。
    7月 信長軍が山城の所々を焼き、多聞山城周辺にも乱入する。
    7/3 義昭が三淵藤英を二条城に置き、再び信長に反旗を翻し宇治槇島城に籠もる。
    7/18 信長が義昭を槇島城に攻める。
    7/19 足利義昭が織田信長に降伏し開城、これにより室町幕府滅亡。
    7/21 義昭が河内津田を経て若江城の三好義継のもとへ身を移す。
    8/2 信長が長岡(細川)藤孝・三淵藤英をして石成友通(三好三人衆)を淀城に攻め滅ぼす。
    8/20 信長勢に追われた朝倉義景が越前大野の六坊賢松寺で自刃。越前朝倉家滅亡。
    8/27 信長が浅井久政・長政父子を近江小谷城に攻め滅ぼす。
    10/21 筒井氏の一族で画家・彫刻家として知られる山田道安が没す。享年不詳。
    11/10 信長が河内若江城に佐久間信盛を差し向け、三好義継を攻める。『佐久間軍記』には「松永久秀・筒井順慶先陣若江城ヲセム」と見える。
    11/16 三好義継が家老の若江三人衆の裏切りに遭い、若江城に自害する。
    12/26 久秀が再び信長に降り、多聞山城を明け渡す。

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