ここでは筒井氏に関して新たに発見・判明したことを臨時稿の形でご紹介します。なお、この内容は後に再編集され別項に移行します。 |
一昨年3月、筒井城跡(大和郡山市筒井町字シロ)の発掘調査により鉄砲玉が出土したことは既にお知らせしたが、今年2005年1月から場所を前回調査箇所の南側に移しての第8次筒井城発掘調査中、1月26日に同城堀跡から2個の鉄砲玉が再び出土した。 画像をご覧頂ければわかる通り、今回出土した鉄砲玉は前回のものと異なって周囲はいずれも白く錆びており、明らかにサイズが異なっているのが特徴である。 右の画像は大きい方の鉄砲玉が見つかった堀跡東端斜面(本丸側)。大きい方の玉は前回出土したものとほぼ同一サイズであることから、松永方の放ったものではないかと考えられる。ただ今回の場合は堀斜面に打ち込まれたものではなく、洗浄中に発見されたもので、表面の酸化具合が先に出土したものよりも明らかに進んでいることがわかる。 こちらの画像は小さい方の鉄砲玉が見つかった堀跡西端斜面(本丸の反対側)。前回出土した玉とは明らかにサイズが一回り小さく、松永方の「こぼれ玉」か、あるいは城方(筒井方)の反撃によるものかは現時点では断定できないが、これも表面の酸化が進んでおり、保存状態は良いとは言えない。 発掘調査は現在進行中につき、現時点では新たに鉄砲玉が出土した事実のみを発表させていただくこととし、詳細は調査終了後にあらためて検討を加えた上でご報告したい。サイズの異なる鉄砲玉は何を語っているのであろうか。松永氏・筒井氏と当時の鉄砲生産地であった堺との関係は。。。? (写真はいずれも1/27撮影) (当記事は大和郡山市教育委員会のご厚意により、速報掲載の許可を頂いて作成したものです) 2005年1月27日記 文責:Masa 画像を含めた当稿の無断転載および引用を禁じます。 |