細川藤孝の墓

☆関連武将☆

細川藤孝(ほそかわ ふじたか) 1534〜1610 

三淵大和守晴員の二男で幼名与一郎、細川元常の養子となり足利義晴・義輝・義昭に仕え、後に幽斎と号す。将軍就任前の義昭(当時は覚慶)が松永久秀によって奈良興福寺一乗院に幽閉されていたときには一計を案じ、無事に救出した。常に時の権力者の側について家を保った超一流の文化人武将で、教養が深く朝廷からも信頼を寄せられた。「百人一首抄」など多数の著書も残っている。
写真は熊本市の立田自然公園(泰勝寺跡)にある藤孝の墓で、ここは藤孝夫妻と息子の忠興夫妻の計四つの墓があることから「四つ御廟」と呼ばれる。法名は「泰勝院徹宗玄旨」。他に京都市左京区の南禅寺天授庵、同北区の大徳寺高桐院、福岡県香春町の高座石寺にも彼の墓がある。

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