結城秀康の墓

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結城秀康(ゆうき ひでやす)  1574〜1607 

家康の次男で通称越前中納言。容貌が「ギギ」という魚に似ていたため幼時は「於義丸(おぎまる)」と呼ばれ、家康からは冷遇された。剛勇の将として知られ、後に秀吉の養子を経て結城晴朝の養子となり、越前・若狭で七十五万石を拝領した。
写真は福井市の大安禅寺松平家墓所(通称「千畳敷」)にある秀康の墓で、高野山奥の院にも彼の廟所がある(国の重文指定)。法名は「浄光院殿前黄門森岩道尉運正大居士」。余談だが、この千畳敷なる墓所では少し変わった(?)光景が見られたのだが、その内容は こちら へ。

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