高橋紹運の墓

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高橋紹運(たかはし じょううん) 1548〜1586 

豊後大友氏の重臣。豊州三老の一人・吉弘鑑理の二男で通称弥七郎、主膳兵衛。名は鎮理のち鎮種、紹運は法号。立花宗茂の実父。筑前宝満・岩屋城主。元亀元年五月、大友氏に背いた宝満城主高橋鑑種の後任として同城を預かる。天正十四年七月、北上する島津軍五万をわずか七百余の兵で岩屋城に迎撃、徹底抗戦の末に一人残らず玉砕という壮絶な最期を遂げた。
写真は福岡県太宰府市の岩屋城二の丸跡にある紹運の墓で、同県柳川市の天叟寺、大牟田市の紹運寺にも墓がある。法名は「天叟院殿性海紹運大居士」。

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