鳥居勝商の墓

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鳥居勝商(とりい かつあき)  1540〜1575 

通称強右衛門(すねえもん)。徳川家康麾下の奥平信昌(当時は貞昌)の家臣で、信昌の居城・長篠城が武田勝頼に包囲された際、一命をなげうって援軍要請の使者を務めた。城を上手く抜け出して岡崎までたどり着き使命を果たすが、帰城にあと一歩のところで失敗、篠場野で武田軍に捕らわれて磔刑に処された。
写真は愛知県作手村の甘泉寺にある勝商の墓で、織田信長によって当地に葬られたという。法名は「智海常通居士」。他に同県新城市の 新昌寺 にも彼の墓(碑)がある。

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