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水野勝成(みずの かつなり) 1564〜1651
三河刈谷城主和泉守忠重の嫡子で、のちの福山藩祖。通称藤十郎、日向守を称す。初陣以来猛将として名をとどろかせたが、やや性急で奇矯な性格から出奔、以後各地を放浪する。関ヶ原の直前に父忠重の奇禍により三河刈谷三万石を嗣ぎ関ヶ原・大坂の役で活躍、大和郡山に六万石を与えられた。のち福島正則の改易に伴い備後福山十万石の藩主となり、特に産業・経済面に力を入れて城下町福山発展の礎を築いた。
写真は広島県福山市の賢忠寺にある勝成の墓で、五輪塔の高さは約5mにも及ぶ巨大なものである。法名は「徳勝院殿前四品日州太守参康宗久(休)大居士」。
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