筑前黒田家の墓

☆関連武将☆

黒田長政(くろだ ながまさ)  1568〜1623

官兵衛孝高の嫡男で筑後守。松寿丸と呼ばれた幼少期は、信長への人質として長浜で暮らす。このとき荒木村重の謀反が起こり、説得に出向いた父孝高が有岡城に幽閉され、これを疑った信長からあわや処刑されそうになったが、竹中半兵衛の機知により救われたと伝えられる。関ヶ原では東軍に属し活躍、その功により筑前一国52万石の主となる。これ以後は忠実に徳川家に仕えた。

黒田孝高(くろだ よしたか)  1546〜1604 

通称官兵衛、後に如水軒円清。受洗名ドン・シメオンを持つキリシタンとしても知られる。播磨国姫路の生まれで初めは小寺姓を名乗る。竹中半兵衛亡き後秀吉を補佐した軍師で、その知謀は秀吉すら恐れたという。信長の重臣荒木村重が背いたときに使者として派遣されたが、却って村重の手により城内の牢獄に幽閉され、落城時に救出されたがこれが元で終生足が不自由になる。後の豊前中津12万石の主。


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