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本多忠勝(ほんだ ただかつ) 1548〜1610
忠高の子。徳川四天王の一人で上総大多喜のち伊勢桑名城主。幼名鍋之助、通称は平八郎。従五位下中務大輔。徳川家武闘派筆頭の猛将で、家康の三河時代から頭角を表し、その活躍は枚挙にいとまがない。生涯大小五十余度の戦いをくぐり抜けてもひとつも傷を負わなかったといい、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と謡われた徳川家自慢の名将。
写真は三重県桑名市の浄土寺にある忠勝の墓で、和歌山県の高野山奥の院にも彼の墓がある。法名は「西岸寺殿前中書長良信大居士」。
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