九鬼嘉隆の墓

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九鬼嘉隆(くき よしたか)   1542〜1600 

定隆の子で通称は右馬允、大隅守を称す。信長水軍の総帥で、元は熊野の海賊とされる。大鉄甲船を操り毛利水軍を第二次木津川海戦で撃破したことは有名。のちに秀吉に仕え、関ヶ原の際に西軍に属したため責を取って謹慎、東軍に属した子の守隆の嘆願で助命が決定したが、その報が届く直前に守隆の家臣に欺かれた形で自刃した。
写真は三重県鳥羽市の常安寺にある嘉隆の墓で、法名は「隆興寺殿前隅州太守泰叟常安大居士」。なお、嘉隆の自刃地である答志島(鳥羽市答志町築上)には、彼の首塚がある。

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