☆宇喜多秀家陣跡☆
宇喜多秀家陣跡
【所在地:関ヶ原町字天満山】
秀家は一万五千とも一万八千とも言われる大部隊を率い、小西行長の陣所天満山北峯からおよそ二町(約220m弱)離れた、ここ天満山南峯(天満神社境内一帯)に布陣した。『家忠日記増補』に「備前中納言ハ石原峠ヲ下テ谷ノ小川ヲ渉リ関ヶ原北ノ野表ニ軍ヲ出シテ西北ノ山ヲ背ニ當テ辰巳ニ向テ屯ス」と見える。宇喜多勢は福島隊と大激戦を演じるが、奮戦虚しく結局秀家は戦場を離脱。一時島津家に匿われるが後に八丈島へ流され、そこで五十年以上も流人として暮らすことになる。

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