☆藤堂高虎・京極高知陣跡☆
藤堂高虎・京極高知陣跡
【所在地:関ヶ原町字井ノ口】
この陣跡は古くは柴井という集落にあり、現在の西首塚からR21沿いに西へ一つ目の路地を南へ100m程入った、関ヶ原中学校の敷地内北側にある。「藤堂佐渡守、京極侍従ハ道ヨリ南、福島ガ左ニ備ヲ立ル」(『黒田氏関ヶ原記』)、「藤堂高虎、京極高知ハ松尾ノ敵ニ差向ラル」(『関ヶ原合戦誌』)とあるように、藤堂・京極勢は福島正則の左翼に位置しており、脇坂・朽木・赤座・小早川ら松尾山方面勢の押さえとして布陣したようだ。決戦では両隊は大谷隊と大激戦を演じ、高虎の従兄弟・藤堂玄蕃は大谷隊の島新吉(左近勝猛の子)に討ち取られている。そして藤堂仁右衛門と大谷家臣湯浅五助の美談も広く世に知られている(「関ヶ原関連逸話録」の項参照)。

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