☆大谷吉継陣跡☆
【所在地:関ヶ原町字井ノ口】
敦賀より九月三日に到着して以来、吉継は関ヶ原の西端・山中村宮上というところに陣を据えていたが、九月十五日朝、やや下って藤川台(口北野)に押し出し、布陣し直したという(『関ヶ原合戦誌』)。ここは吉継が陣を移した場所である。大谷隊は戸田重政父子・平塚為広らとともに奮闘するが所詮兵数に乏しく、寝返った小早川秀秋一万五千の標的となってはどうしようもなかった。一時押し返す場面も見られたものの、そこへまた脇坂・小川・朽木・赤座の裏切りに遭い壊滅、ついに吉継は自刃する。
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