上杉謙信(うえすぎ けんしん) 1530〜1578
戦国の神将。戦国の神将。上杉憲政から関東管領職を譲られる。義戦に明け暮れた生涯を送るも大酒が災いして病死。
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宇喜多秀家(うきた ひでいえ) 1572〜1655
中納言。直家の子で豊臣家五大老の一人。関ヶ原で敗れて戦後八丈島へ遠流。病死するまで五十年を島で生き抜いた。
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お市の方(おいちのかた) 1547〜1583
信長の妹で絶世の美女として有名。最初は浅井長政、後に柴田勝家の妻。賤ヶ岳の敗戦後に越前北ノ庄城で勝家と共に自刃。
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大谷吉継(おおたに よしつぐ) ? 〜1600
刑部少輔、越前敦賀城主。幸村の義父にあたり吉隆ともいう。地味ながらも親友石田三成との義に生き義に殉じた悲運の名将。
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織田信長(おだ のぶなが) 1534〜1582
軍政両面に数々の新機軸を採用した戦国の革命児。天下統一事業の半ばで隙をつかれて明智光秀の謀反に遭い、本能寺にて自刃。
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真田幸村(さなだ ゆきむら) 1567〜1615
本名信繁。大坂夏の陣で島津家の士に「真田日本一…」と言わせたほどめざましい奮戦をするも、安居天神境内にて戦死。
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柴田勝家(しばた かついえ) 1522〜1583
通称修理亮、織田家筆頭家老の猛将。信長没後に清洲会議で秀吉と衝突、賤ヶ岳合戦で敗れ居城の越前北ノ庄で自刃。
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島津義弘(しまづ よしひろ) 1555〜1627
義久の弟で島津家第十八代当主。戦国史上に名高い薩摩の猛将で関ヶ原の敵中突破の凄まじさは今もなお語り継がれる。
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武田信玄(たけだ しんげん) 1521〜1573
信虎の嫡男。軍政・外交すべてに優れた名君で、無敵の騎馬軍団で知られる戦国時代の巨星。上洛途中に労咳を患い病没。
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長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)1539〜1599
国親の子。軍政両面に優れた名将で、わずか10年で四国全土の覇者となるが、秀吉の大軍の前にはなす術なく降伏。
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徳川家康(とくがわ いえやす) 1542〜1624
信長の同盟者として幾多の試練にも堪え忍び、ついには秀吉の没後に天下を掌握し江戸幕府を開いた戦国の最終勝利者。
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豊臣秀吉(とよとみ ひでよし) 1536〜1598
戦国一の出世人。信長の草履取りからついには天下を掌握し関白に。晩年は二度の朝鮮侵略の暴挙に出てその途中に病死。
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北条氏康(ほうじょう うじやす) 1515〜1571
氏綱の子で小田原北条氏三代の名君。信玄や謙信に一歩も引けを取らず、関八州の領土を守った。河越夜戦の奇襲は戦国合戦史に名高い。
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本多忠勝(ほんだ ただかつ) 1548〜1610
徳川四天王の一人で伊勢桑名城主。徳川家武闘派筆頭の猛将で、生涯五十余度の戦いをくぐり抜けてもひとつも傷を負わなかったという。
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毛利元就(もうり もとなり) 1497〜1571
政治・戦術・謀略・外交のいずれにも長じ、厳島合戦で陶晴賢の大軍を奇襲で破った。毛利家を中国の大大名に発展させた名将。
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