越後から会津へ

景勝は朝鮮の役にはさほど目立った働きはせず、内政の充実に力を注ぎます。しかし、秀吉の晩年に景勝は祖国越後を離れ、会津へと移封されます。


佐渡金山支配の委任

 文禄元(1592)年三月、秀吉は朝鮮出兵に踏み切り、景勝は五千の兵を率いて肥前名護屋へと向かう。ただ、彼は徳川家康・前田利家らと名護屋に在陣し、一度渡鮮して熊川などで多少の働きはしたものの、あまり積極的には戦闘に参加していない。そして文禄三(1594)年八月には従三位権中納言に任ぜられたのに続き、九月には『定納(じょうのう)員数目録』を作成し、領国の内政充実を図っている。これは領国内の家臣とその知行高および軍役数をまとめたもので、軍政両面で能率的に事を運ぶための基本台帳のようなものである。
 つまりこの時期は、景勝は戦役よりも内政の充実に力を注いだと思われるのだが、中でも特筆すべきは、朝鮮役の軍事費捻出などのため、秀吉から越後・佐渡の金山支配を委任されたことである。
 実は文禄三年十二月、上洛した直江兼続は「五奉行」の浅野長政からこの事前通告を受けていたのだが、翌年正月十七日、秀吉は景勝に「直江兼続を代官として金銀を納入せよ」との朱印状を下した。さっそく直江兼続は立岩喜兵衛・志駄修理亮(義秀)を奉行に任じて金山に関する法度五箇条を発令、五月には石見から石田忠兵衛らの見立て人が来越、石見銀山の先進技術を伝授した。これにより佐渡金銀山は飛躍的に産出量を高め、慶長三(1598)年の運上金は大判八百枚にも達したという。
 そして秀吉の朱印状を受け取って間もない二月七日、京都である人物が亡くなったのだが、これが景勝の後半生を大きく変えることになってくるのである。


越後から会津へ

 その人物の名を蒲生氏郷という。彼は織田信長お気に入りの勇将で、戦功は枚挙に暇がない。彼は秀吉政権下の奥州の要として、特に伊達政宗の牽制役として会津に配されていたのだが、突然京都で急死する。死因は病死とされるが不明で、まことしやかに毒殺説が囁かれた。ややショッキングに感じられる方もおられるかと思うが、石田三成と直江兼続の共謀説(!)も巷説に見えているので紹介しよう。

 石田三成、或雨夜のつれづれに成りしに、直江を近付私語けるは、「卑賤より出て天下を治るは大丈夫の志なり。我豊臣家の恩深し・太閤斯世におはしまさん中は思ひ立つべからず。されども終には旗を揚、天下をとらばやと存ずるなり。其時徳川家父子をば如何にして討ち亡すべき。武略を廻らし給はらんや」と語りしに、直江此を幸とやおもひけん、「是こそ志す所に候へ。されども徳川父子関八州を領して、且蒲生氏郷といふ勇将に親しみあり。輙く勝つべからず。先氏郷を滅し、景勝に会津を賜りなんや。然らば吾景勝に謀りて旗を揚、我先陣して師を出すべし。其時西国の諸将たちをかたらひ、押寄せて関東を討亡すべきよ」とこまごまと相謀り、終に氏郷を毒害し、後秀行八十万石の地を削て、会津を景勝に秀吉賜りたるは、此謀より事起るといへり。
 (『常山紀談』巻十一の二十二 第二百六十三話「石田三成・直江兼続密謀の事」より抜粋)


 秀吉の毒殺説もあるようだが、これによると三成・兼続の共謀とされている。事の真偽はともかく、氏郷の後を嗣いだ秀行ではやはり要衝会津の統治は荷が重かったようで、家臣の統率が出来ない(現に重臣間で紛争が起きている)との咎めを受け、ほどなく下野宇都宮十二万石へ移された。そしてそれと引き替えに、景勝を会津へ転封する沙汰が下ったのである。時に慶長三(1598)年正月十日のことであった。これにより景勝は越後・佐渡九十万石余から一躍会津百二十万石の大大名となったのだが、景勝の胸中は複雑であったろう。なお、景勝は前年六月十二日に六十五歳で死去した小早川隆景の後を受け、五大老職に就いたともされるが、この「五大老」は制度としては秀吉の死の直前に「五奉行」と同時に定められたものらしく、それまでは五人の「実力大名」を単にまとめてこう呼んでいたのかもしれない。
 つまり、正式な職制としての「五大老」は、家康・利家・毛利輝元・宇喜多秀家と景勝ということになる。また、その呼称も「五大老」が「五人之奉行」、「五奉行」が「五人之年寄」とも言われているが、ここではこれ以上は触れない。
 謙信以来の越後を離れることには相当抵抗があったと思われるが、景勝は何のわだかまりもなく会津へ移った。表向きの理由としては、蒲生秀行では会津の統治が出来ないと判断されたことと、伊達政宗・徳川家康の牽制にあったとされる。もちろんそれには間違いないのだが、私は一面では景勝が越後に根付いてますます強大になっていくのを好まない秀吉の意向が、少なからず働いたのではないかと思う。
 そして、それから一年もしないうちに時代は再び大きく動き出し、日本史上最大の戦いへと向かっていく。注目すべきは、むろん直江兼続である。


INDEX TOP NEXT