雑賀孫一の墓

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鈴木重秀(すずき しげひで)  生没年不詳 

佐太夫の子。雑賀孫一(孫市)の名で有名な、紀州の鉄砲集団・雑賀党の頭領。石山合戦時に本願寺に協力して各地を転戦するが、天正五(1577)年に信長の紀州攻めに遭い降伏。秀吉の紀州攻めの際には太田城へ勧降の使として赴いた。
写真は和歌山市の蓮乗寺にある孫一の墓で、法名は「釈法誓」。この墓碑によると彼は1589年5月2日に歿しているのだが、これは複数人物の呼称と思われ、重秀の没年時とは断定できない。→詳細はこちらへ
他に三重県熊野市にも史蹟「雑賀孫市終焉の地」があり、供養塔がある。こちらの法名は「釈広徳」。

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