☆関連武将☆
上杉景勝(うえすぎ かげかつ) 1555〜1623
中納言。長尾政景の子で謙信の養子となり、相続争いで北条家から来た養子の景虎を下し(御館の乱)家を継ぐ。小田原合戦の後、会津百二十万石の主に。豊臣家五大老の一人で寡黙な名君として知られるが、関ヶ原では西軍に加担し、戦後は出羽米沢三十万石に減封された。
上杉謙信(うえすぎ けんしん) 1530〜1578
戦国の神将と呼ばれ自らを毘沙門天の化身と信じ、出陣した合戦は全て負けることがなかったという。長尾為景の子で国内の豪族たちの統制力に欠けていた兄晴景を隠居させ越後国主に。かつては敵であった上杉憲政から頼られて関東管領職を譲られ、長尾景虎改め将軍義輝の一字を頂き上杉輝虎を名乗る。義戦に明け暮れた生涯を送るも日頃の大酒が災いして病死。
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