松永久秀年表 No.2
永禄二(1559)年〜永禄七(1564)年
* 印は閏月を示します。
西暦和暦日付事績
1559 永禄2 5/29 岸和田城の十河一存救援に和泉へ入り、根来寺衆徒と戦うが敗れる。
    6/26 十七箇所に陣していた長慶と合流し、河内中央部へ進む。長頼もこれに従う。
    8/4 長慶が高屋城に安見直政を攻め破り、畠山高政を入城させる。また久秀に安見らの追討を命じる。
    8/6 筒井城に筒井藤勝(順慶)と戦い、これを破る。藤勝は椿尾上城へ逃れる。
    8/8 大和信貴山城を修築し、ここに大和支配の拠点を構える。
    8/14 万歳へ出陣、二上山へ本陣を置き高尾を焼き払う。
    9/22 福住へ出陣、田原郷を焼き払う。
    10/2 春日社に参り神馬1疋を奉納する。また若宮へは12貫神楽を奉納する。
    10/22 椿尾上城から出陣した筒井衆が横井を焼き払い、救援に赴いた松永方の郡山辰巳衆らと戦う。
    11/24 山城勝軍山城を攻め、六角氏の将永原安芸守を討つ。
1560 永禄3 2/1 三好義興とともに義輝の御供衆となる。
    2/4 弾正少弼に任ぜられる。
    2/6 足利義輝の参内に際し、義興や細川藤賢らとともに御供衆として従う。
    2/16 堺の津田宗達の茶会に招かれる。
    4/5 河内から大和へ入り、西京を宿所とする。
    5/12 春日社に神供料百貫文を寄進する。
    7/24 井戸城を攻め、椿尾上城から救援に出陣した筒井衆を破る。
    7/28 井戸城が久秀方に明け渡される。
    10/10 飯盛城の後詰めに出陣した香西道印・波多野右衛門・木沢新太郎らが宇治周辺で放火するが、丹波から到着した長頼がこれを討つ。
    11月 檜牧城に沢氏を攻める。
    11/13 万歳城を攻め、万歳氏は降伏して開城する。この日長慶は飯盛城へ、実休(義賢)は高屋城へ入る。
    11/18 泊瀬の桜坊城を攻め開城させる。
    11/24 沢檜牧城が開城する。
1561 永禄4 −− この年、南都眉間寺を壊し多聞山城を築く。
    1/17 鉢屋紹佐の茶会へ参じる。客は松屋久政・堺宗可ら。
    1/24 義興・三好長逸らと年賀のため参府する。
    2/1 将軍家より桐紋の使用と塗輿を認められる。
    2/4 主君長慶と同じ従四位下に叙せられる。(1/28に一旦藤原姓として口宣案を得たが、桐紋の使用を許可されたため改めて源氏姓として叙せられる)
    3/30 京都立売町の三好亭へ将軍家の御成があり、太刀を献上し御伴衆の接待を務める。
    4/23 長慶の弟で不仲と伝えられる十河一存が没す。
    6/25 多聞山城の塀に使用する柱の用木として、花山の杉を七十本余り切る。
    7月 京都清水寺へ五箇条の禁制を与える。
    7/29 京都西院に在陣中、六角義賢の兵が出撃して粟田口を焼く。
    11/24 松山新太郎を先手として勝軍地蔵山・神楽岡を攻め、六角義賢に与する永原重澄・薬師寺兄弟・柳本兄弟らを討つ。
1562 永禄5 2/22 多聞山より南山城へ出陣、筒井氏に加担した狛・稲八妻氏と戦う。
    2/23 柳本城から多聞山へ帰陣した十市氏・郡山辰巳向井氏が筒井衆と戦い敗れる。
    3/5 畠山高政との和泉久米田の戦いで長慶の弟・実休が戦死する。
    3/7 六角義賢が入京し、朝廷を警備する。久秀は義興とともに山崎まで退く。
    3/10 義興とともに摂津鳥養・柱本へ陣を移す。
    4/5 六角義賢に呼応した畠山高政が長慶を飯盛城に攻める。
    5/14 義興・安宅冬康・三好長逸・政康・康長らとともに二万の大軍で、畠山高政に攻められている飯盛城救援に向かう。
    5/20 三好勢が河内教興寺付近で畠山方湯川直光らを撃破する(教興寺の戦い)。夜、筒井衆の陣する菩提山寺を焼く。
    5/21 筒井郷・十市郷・片岡郷を焼き払う。
    5/22 多聞山から兵を出し、宿井・藤坊を焼く。
    5/24 菩提山寺の筒井陳を攻め、坊舎を残らず焼き蔵物を奪う。
    5/25 矢田寺の諸坊を悉く焼き払う。東明寺・松尾・平群谷・生駒谷を焼く。
    5/28 秋山氏に加勢して釜口へ陣取る。井戸氏は久秀に同心し、人質を渡す。
    6/2 三好氏と六角氏が講和する。
    6/23 春日社に参り、神楽十二貫文を奉納する。
    6/26 教興寺の戦いの戦勝を賀し、義興とともに朝廷より太刀を賜る。
    7/16 久秀方の箸尾為綱が伴堂・金剛寺両城を破却、箸尾城を築く。
    8月 大和一国と南山城に徳政令を発す。
    8/12 多聞山城で棟上げが行われ、奈良中の人々が見物する。
    9/11 六角義賢・畠山高政に通じた伊勢貞孝・有馬重則を義興とともに京都杉坂に攻め、これを討つ。
    11/13 春日社の陪従御神楽の施主を務める。願主は近衛前久。
    11/15 春日社神事の下行銭千五百疋を朝廷に献上する。
1563 永禄6 1/11 多聞山城で茶会を開く。客は興福寺成福院・曲直瀬道三・松屋久政・堺宗可・竹内秀勝。
    1/22 久通とともに多武峰へ出陣する。
    1/23 多武峰攻めに備えて釜口に本陣を敷く。
    1/27 多武峰衆徒と多武峰東口で戦うが敗れ、壺阪まで退く。
    3/1 細川晴元が摂津富田普門寺で没す。享年50歳。
    3/3 春日祭の費用として十五貫を、清原枝賢から山科言継を通して献上する。
    5/24 筒井衆が信貴山城を攻め、「本ツフ」を焼き落とす。
    8/25 三好義興が摂津芥川城で病没。享年22歳。長慶は養子重存(のち義継)を家督に据える。
    12/20 細川氏綱が山城淀城で没す。
    *12/1 久通が従五位下・右衛門佐に叙任される。
    *12/14 久通に家督を譲る。
    *12/21 久通が将軍家に対し家督相続を許された御礼言上のため上洛する。
1564 永禄7 3/2 春日祭の費用として千五百疋を山科言継を通して献上する。
    3/16 広橋国光・万里小路惟房を通じ改元を申請するが返事は下されず。
    3/19 妻が没す。
    5/9 長慶が飯盛城で安宅冬康を謀殺する。享年39歳。
    6/22 重存が松永久通・三好長逸はじめ広橋国光らの公卿を含めて四千人を従え、将軍家に対し家督相続を許された御礼言上のため上洛する。
    7/4 三好長慶が飯盛城で没す。享年43歳。重存が跡を嗣ぐ。
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