瑞光寺(ずいこうじ)
一行はようやく難所を抜け、応安四(1371)年の創立とされる、関・木崎(こざき)町の瑞光寺に到着した。この寺はもとは別の位置(小野川上流)にあったが兵火に罹って焼失、関安芸守盛信が菩提寺として天正年間にこの地に再興したもので、当時の和尚は三河宝飯(ほい)郡の生まれで、家康と幼なじみであったという。
境内には「権現柿」と呼ばれる柿の木が今なお残っている(写真右)が、これは天正年間に家康が上洛した際に、ここ瑞光寺に幼なじみの和尚を訪ねて立ち寄り、庭先で柿を賞味したことから、後世この名で呼ばれることになったと伝えられる。つまり、残念ではあるが、「権現柿」の名の由来は、この時家康が賞味したからとかではないようだ。
(右写真クリックで立て札説明書きのクローズアップ)
家康一行はここでしばし休憩した後、白子へと急いだ。
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