御家自慢の名物武将

戦国武将の中には「○本槍」「△天王」というような、キリの良い人数や特定の異名で呼ばれ、その地位や武勇を知らしめた家柄や武将が多く存在しました。ここでは、そのような御家自慢・ご当地自慢の名物武将たちを、多少時代を拡げて紹介します。

・・・五十音順・・・
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 
呼称人物
会津四家老
あいづよんかろう
佐世氏 富田氏 平田氏 松本氏
 
※これは会津蘆名家の重臣で代々家老を務めた四家です。「蘆名四天の宿老」とも言います。
浅井の四翼
あざいのし(よん)よく
磯野員昌 大野木国重 野村定元 三田村秀俊
 
※これは近江浅井家の重臣たちで、『近江輿地志略』中にこの記述があります。
蘆名四天王
あしなしてんのう
佐世種常 富田滋実 平田盛範 松本舜輔
 
※これは上記「会津四家老」の、戦国期におけるそれぞれ家中の実力者です。
小豆坂七本槍
あずきざかしちほんやり
岡田重善 織田信光 織田造酒丞 佐々孫介 佐々政次 下方貞清 中野一安
 
※これは天文十一(1542)年の三河小豆坂の戦いで、織田信秀の下で活躍した七人とされています。上記両佐々氏は後の猛将・成政の兄です。
天草五人衆
あまくさごにんしゅう
天草氏 大矢野氏 上津浦氏 志岐氏 栖本氏
 
※これは戦国期の肥後天草に割拠した国人たちです。
尼子家九牛党
あまごけきゅうぎゅうとう
牛井谷右衛門 牛尾幸清 牛岡草之助 牛飼糖右衛門 牛川飛右衛門 牛田源五兵衛 牛田鋤右衛門 牛尿踏右衛門 牛引夫兵衛
 
※これは尼子家で「牛」の字を姓に持つ九人です。『燕石雑誌』に見られます。
尼子三傑
あまごさんけつ
熊谷新右衛門 立原久綱 山中鹿介
 
※これは尼子家でその武勇を讃えられた三人です。久綱と鹿介は叔父・甥の関係です。
尼子家七馬士
あまごけしちばし
馬井汲之助 馬飼舎人 馬川渡之助 馬路走之助 馬塚登之助 馬山翔右衛門 馬木彦右衛門
 
※これは尼子家で「馬」の字を姓に持つ七人です。『燕石雑誌』に見られます。
尼子十旗
あまごじっき
赤穴光清 牛尾幸清 大西氏 熊野久家 神西三郎左衛門 諏訪部(三刀屋)久扶 馬来(真木)氏 松田誠保 三沢為幸 米原綱寛
 
※尼子十旗とは、本城月山富田城の外壁となる十城の呼称。またこれらと本城の間にある中継ぎの城砦を『尼子十砦』と言います。
尼子十助(介)
あまごじっすけ
秋上伊織助 植田稲葉之助 大谷猪之助 柴橋大力之助 高橋渡之助 寺本生死之助 早川鮎之助 深田泥之助 山中鹿介 横道兵庫助
 
※これらは後に講談で人気を博した「尼子十勇士」(↓)のモデルと言われています。
尼子十勇士
あまごじゅうゆうし
秋宅庵之介 今川鮎之介 植田早苗之介 小倉鼠之介 寺本生死之介 深田泥之介 尤道理之介 山中鹿介 藪中荊之介 横道兵庫之介
 
※これには異説も多く、一例です。中には架空の人物も含まれています。
伊賀上忍三家
いがじょうにんさんけ
服部家 藤林家 百地家  → 詳細はこちらへ
 
※これは伊賀の上忍として君臨した三家です。服部半蔵・藤林長門守・百地丹波が著名です。
石田三成三将
いしだみつなりさんしょう
島左近清興(勝猛) 杉江勘兵衛 舞兵庫(前野忠康)
 
※これは石田三成の家中における豪勇の誉れ高い武将と伝えられます。
一乗谷四奉行
いちじょうだによんぶぎょう
朝倉景連 前波景定 小泉長利 河合吉統
 
※これは天文十九〜永禄五年までの間、越前朝倉氏本拠一乗谷の奉行を務めた武将で、のちに三奉行となります。
上田七本鎗
うえだしちほんやり
朝倉宣政 太田吉正 鎮目惟明 辻久正 戸田重利 中山照守 御子神典膳
 
※これは「真田表七本鎗」ともいい、関ヶ原の際に徳川秀忠と信濃上田城主真田昌幸との間の戦いで、敗勢ながら活躍した徳川方の七人です(『改正三河後風土記』)。太田吉正に代え斎藤利信を挙げるものも。
宇喜多家三老
うきたけさんろう
岡利勝 長船貞親 戸川秀安
 
※これは備前宇喜多家において、軍政両面に重きをなしたとされる三人の家老です。
宇喜多四天王
うきたしてんのう
岡家利 戸川秀安 延原景能 花房職秀
 
※これも備前宇喜多家において重きをなしたとされる四人の重臣です。
越後十七将
えちごじゅうしちしょう
甘糟景持 荒川伊豆守 飯盛摂津守 宇佐美定行 鬼小島弥太郎 柿崎景家 唐崎左馬之介 斎藤朝信 鴫山周防守 神藤出羽守 高梨政頼 直江兼続 直江景綱 永井丹波守 本庄繁長 毛利上総介 桃井讃岐守
 
※架空の人物も。これは江戸時代に「武田二十四将」に対抗して上杉家の猛将を列挙して作られたものと思われます。
大坂七手組頭
おおさかしちてくみがしら
青木一重 伊東長次 中島氏種 野々村吉安 速水守久 堀田盛重(正高) 真野頼包
 
※これは豊臣秀頼の家臣で、実質的には大野治長の指揮下で働いた軍事司令官達です。
大友三家
おおともさんけ
詫摩氏 志賀氏 田原氏
 
※これは豊後大友家の庶流で特に栄えた家柄です。
岡崎五人衆
おかざきごにんしゅう
天野貞有 石川忠輔 植村新六 内藤義清 林藤助
 
※これは三河松平氏信忠・清康の家臣で、特に武芸に長じた五人と伝えられています。
織田家奉行五人衆
おだけぶぎょうごにんしゅう
菅谷(屋)長頼 長谷川秀一 福富秀勝(貞次) 堀秀政 矢部家定
 
※これは天下統一を進める織田家中にあって、行政・財政・民治の中枢を担った代表吏僚です。
小倭七人衆
おやまとしちにんしゅう
稲垣氏 臼木氏 岡村氏 小泉氏 堀山氏 満賀野氏 吉懸氏
 
※これは伊勢に割拠した地侍達で、天正十二年の小牧・長久手の役の際に織田信雄に属して蒲生氏郷ら秀吉勢と戦いますが平定されます。
海赤雨三将
かいせきうさんしょう
赤尾清綱 雨森弥兵衛 海北綱親
 
※これは近江浅井家でその武勇を讃えられた三人です。「海赤雨の三士」とも言います。
加藤家三傑
かとうけさんけつ
飯田覚(角)兵衛 庄林隼人 森本儀太夫
 
※これは肥後加藤家中で秀吉からその武勇を讃えられた三人です。「加藤家三家老」とも言います。
蟹江七本槍
かにえしちほんやり
阿部忠政 大久保忠員 大久保忠佐 大久保忠利 大久保忠世 杉浦鎮貞 杉浦鎮栄
 
※これは三河松平広忠の家臣で、弘治元年の尾張蟹江城攻めの際に活躍した七人と伝えられています。
清洲三奉行
きよすさんぶぎょう
織田因幡守 織田藤左衛門(信秀の伯父) 織田信秀
 
※これは尾張下四郡の守護代織田大和守(清洲織田氏)の下で実力を持った三人の奉行衆のことです。
桐生七騎
きりゅうしちき
芥川能登 荒蒔式部 小曽根筑後 高草木筑前 東宮民部 松島淡路 松島式部
 
※これは上野桐生城主桐生祐綱の重臣で、渡良瀬川上流の黒川谷にある城砦の守将たちです。
黒田二十四騎
くろだにじゅうよんき
井上之房 小河信章 衣笠景延 菅正利 桐山信行 栗山利安 黒田一成 黒田利高 黒田利則 黒田直之 毛屋武久 後藤基次 竹森次真 野口一成 野村祐勝 林道利 原種良 久野重勝 堀正儔 益田宗清 三宅家義 村田吉次 母里友信 吉田長利
 
※これは黒田長政の下で活躍した御家自慢の二十四人です。
黒田八虎
くろだはっこ
井上之房 栗山利安 黒田一成 黒田利高 黒田利則 黒田直之 後藤基次 母里友信
 
※これは黒田長政の下で特にその武勇で知られた八人です。
神代三人衆
くましろさんにんしゅう
松瀬氏 三瀬氏 杠(ゆずりは)氏
 
※これは肥前神代(くましろ)氏に従った国人たちです。
甲賀五十三家
こうかごじゅうさんけ
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※これは近江六角氏支配下で実力を認められた甲賀郡の五十三家を指します。
斎藤六人衆
さいとうろくにんしゅう
安藤守就 氏家ト全(直元) 竹越尚光 長井衛安 日禰野弘就 日比野清美
 
※これは美濃斎藤家における重臣たちです。
真田十勇士
さなだじゅうゆうし
穴山小助 海野六郎 筧十蔵 霧隠才蔵 猿飛佐助 根津甚八 望月六郎 三好伊三入道 三好清海入道 由利鎌之助
 
※架空の人物です。但し、三好清海=三好政康、三好伊三=三好政勝など、一部にモデルとされる武将は存在したようです。
三国司
さんこくし
伊勢北畠氏 土佐一条氏 飛騨姉小路氏
 
※他の国司家が没落する中、天正年間まで公家の国司として残った家です。一条氏の代わりに阿波一宮氏を入れる場合も。
三城七騎籠り
さんじょうしちきごもり
今道純近 大村純辰 朝長純基 朝長純盛 藤崎純久 宮原純房 渡辺純綱
 
※これは元亀三年七月に後藤貴明らが肥前三城を攻めた際、大村純忠とともにわずか八十騎で籠城力戦し、遂に敵を撃退した大村家の七勇士です。
三弾正
さんだんじょう
高坂昌信 真田幸隆 保科正俊
 
※同じ弾正でも昌信は「逃げ弾正」、幸隆は「攻め弾正」、正俊は「槍弾正」と呼ばれています。
三島村上水軍
さんとうみしますいぐん
因島村上氏(吉充) 来島村上氏(通康→通総) 能島村上氏(武吉)
 
※これは戦国期に瀬戸内海西部で活動した海賊衆です。安芸毛利氏・伊予河野氏と深い関係があります。
三山城
さんやましろ
竹腰正信 直江兼続 横山長知
 
※これは「山城守」を称した武将のうちで、特に優れた人物とされています。
椎葉三人衆
しいばさんにんしゅう
大河内氏 那須氏 向山氏
 
※これは日向耳川上流の椎葉村を本拠としていた国人たちです。
賤ヶ岳七本槍
しずがたけしちほんやり
糟屋武則 片桐且元 加藤清正 加藤嘉明 平野長泰 福島正則 脇坂安治
 
※賤ヶ岳の戦いでは他に石河兵助や桜井佐吉も活躍していて本来は「九本槍」なのですが、兵助は戦死、佐吉は程なく病死したため外されています。
十八松平
じゅうはちまつだいら
徳川本宗家 岩津松平氏 鵜殿松平氏 大草松平氏 大給(おぎゅう)松平氏 押鴨松平氏 形原松平氏 御油松平氏 桜井松平氏 瀧脇松平氏 竹谷松平氏 東条松平氏 深溝(ふこうづ)松平氏 長沢松平氏 能見松平氏 福釜松平氏 藤井松平氏 三木松平氏
 
※徳川氏の中核をなす家柄です。数え方には異説もあり、一例です。
摂津三守護
せっつさんしゅご
池田勝正 伊丹親興 和田惟政
 
※この三人はやがて台頭してきた荒木村重にその地位を奪われます。
武田二十四将
たけだにじゅうよんしょう
秋山信友 穴山信君 甘利虎泰 板垣信方 一条信竜 小幡虎盛 小幡昌盛 飫富虎昌 小山田信茂 高坂昌信 三枝守友 真田幸隆 曽根昌清 武田信繁 武田信廉 多田満頼 土屋昌次 内藤昌豊 馬場信春 原虎胤 原昌胤 山県昌景 山本晴幸 横田高松
 
※これは諸説により選抜武将がまちまちであり、一例です。
武田四臣
たけだよんしん
高坂昌信 内藤昌豊 馬場信春 山県昌景
 
※『名将言行録』中に見られる武田信玄の重臣たちです。
丹波七組
たんばしちくみ
足立光久 荻野朝忠 酒井重貞 須知景氏 内藤顕勝 野尻康永 波々伯部光政
 
※これは『多紀郷士史話』に見える、丹波波多野氏全盛時に属した国人衆です。
丹波七頭
たんばしちとう
赤井景遠 荒木氏綱 江田行範 大館氏忠 久下重氏 小林重範 長沢義遠
 
※これも『多紀郷士史話』に見える、丹波波多野氏麾下の国人衆です。
丹波の青鬼赤鬼
たんばのあおおにあかおに
青鬼=籾井教業 赤鬼=赤井直正
 
※これは丹波地方の豪族で特に武勇に秀でていたと伝えられる二人です。
筒井三家老
つついさんかろう
島左近清興(勝猛) 松蔵右近勝重(松倉重信) 森好之
 
※これは大和筒井家の宿老で『増補筒井家記』などに記述が見られます。
筒井の右近左近
つついのうこんさこん
島左近清興(勝猛) 松蔵右近勝重(松倉重信)
 
※これは大和筒井家でその知謀と武勇がいずれ劣らぬと評された二人です。
天下七兄弟
てんかしちきょうだい
稲葉正成 可児才蔵 辻小作 谷衛友 中黒道随 丹羽山城 渡辺勘兵衛
 
※これは関ヶ原の頃、仲が良く兄弟の約束をして武勇に励んだとされる面々です。
天下六人の大名
てんかろくにんのだいみょう
上杉氏 佐竹氏 島津氏 徳川氏 前田氏 毛利氏
 
※これは『藩翰譜』に見える、関ヶ原直前の頃に君臨した大大名たちです。
徳川三傑
とくがわさんけつ
井伊直政 榊原康政 本多忠勝
 
※これは徳川家でその武勇を最も称えられた三人です。
徳川四天王
とくがわしてんのう
井伊直政 酒井忠次 榊原康政 本多忠勝
 
※これはあまりにも有名な、徳川家の名物家臣達です。
徳川十六神将
とくがわじゅうろくしんしょう
井伊直政 植村家政 大久保忠佐 大久保忠世 酒井忠次 榊原康政 高木清秀 鳥居元信 鳥居元忠 内藤正成 服部半蔵 平岩親吉 本多忠勝 松平康忠 米津藤蔵 渡辺守綱
 
※これは徳川家でその存在が重きをなす十六人です。忍び頭の服部半蔵の名も見えます。
土佐の七人守護
とさのしちにんしゅご
安芸氏 大平氏 吉良氏 香宗我部氏 長宗我部氏 津野氏 本山氏
 
※ここで言う「守護」とは鎌倉以来の公職ではなく、有力豪族の俗称です。香宗我部氏の代わりに山田氏を入れているものもあります。
豊臣家五大老
とよとみけごたいろう
宇喜多秀家 小早川隆景(後に上杉景勝) 徳川家康 前田利家 毛利輝元
 
※これは豊臣家での最高位の職掌です。皆大身の大大名です。
豊臣家五奉行
とよとみけごぶぎょう
浅野長政 石田三成 長束正家 前田玄以 増田長盛
 
※これは五大老に対して、実務面での重鎮です。
豊臣家三中老
とよとみけさんちゅうろう
生駒親正 中村一氏 堀尾吉晴
 
※これは臨時職または権威付けのためのものと言われています。
那須七騎
なすしちき
芦野盛泰 伊王野資信 大関高増 大田原晴清 千本義貴 那須資晴 福原資孝
 
※これは下野那須郡の那須(資晴)一族および重臣のうち、主立った七人またはその家を指します。
鍋島三生
なべしまさんせい(なり)
石井生札 下村生運 鍋島生三
 
※龍造寺家に属し、後に鍋島直茂から「生」の一字を賜った(直茂は左衛門大夫信生と名乗ったことがある)とされる三人です。
西美濃十八将
にしみのじゅうはっしょう
相場国信 衣斐(いび)光兼 揖斐(いび)光親 岩手道高 軽海光顕 国枝正則 郡家(ぐんけ)光春 小柿長秀 小弾正(こだんじょう)国家 高橋治平 竹越守久 竹中重治 所信国 林道政 船木義久 松山正定 八居国清 山岸光信
 
※これは美濃斎藤氏の支配下西美濃地域における国人領主クラスの家臣たちです。
畠山七人衆
はたけやましちにんしゅう
伊丹総堅 長続連 温井総貞 平総知 三宅総広 遊佐宗円 遊佐続光
 
※これは能登守護畠山氏の中枢となる重臣たちのことです。
八浜七本槍
はちはましちほんやり
粟井正晴 岸本惣次郎 国富貞次 小森三郎右衛門 宍甘太郎兵衛 能勢頼吉 馬場職家
 
※これは宇喜多家家中で、毛利氏との備前八浜合戦の際に活躍した面々です。
羽床七人衆
はゆかしちにんしゅう
秋山三郎 有岡牡丹 大林丹後 後藤是兵衛 造田佐渡 羽床源内 脇絲目
 
※これは『全讃史』に見える、讃岐の羽床伊豆守政長の家中で勇名を馳せた七人です。
日田八奉行
ひたはちぶぎょう
石松氏 財津氏 坂本氏 佐藤氏 世戸口氏 高瀬氏 堤氏 羽野氏
 
※これは豊後の日田親将旧臣で、大友氏の麾下で日田郡の奉行となった面々です。
府中三人衆
ふちゅうさんにんしゅう
佐々成政 不破光治 前田利家
 
※これは柴田勝家の越前統治時に信長が付けた寄騎で、役目は勝家の監視といわれています。
豊州三老
(大友三家老)

ほうしゅうさんろう
臼杵鑑速 吉岡長増 吉弘鑑理
 
※これは大友家で重きをなす三人の家老です。臼杵鑑速・吉岡長増をもって「豊州二老」という場合も。
北条三家老
ほうじょうさんかろう
大道寺政繁 遠山綱景 松田憲秀
 
※これは小田原北条氏の中枢で重きをなす三人の家老です。
北条五色備
(北条五家老)

ほうじょうごしきぞなえ
笠原康勝(白備) 多目周防守(黒備) 富永右衛門尉(青備) 北条綱高(赤備) 北条綱成(黄備)
 
※これは小田原北条氏の主に軍事面で重きをなす五人の家老です。北条家ではこれら八人の家老とその下の二十将を合わせて「二十八老将」とも称しています。
星野家七隊長
ほしのけしちたいちょう
浦氏 恵良氏 小野氏 土穴氏 仁田原氏 樋口氏 古野氏
 
※これは筑後星野氏の麾下として活躍した国人たちです。筆頭は樋口氏と言われています。
細川四天王
ほそかわしてんのう
香川景明 香西元資 奈良元安 安富盛長
 
※これは細川勝元の臣として活躍した四人です。
本川五党
ほんかわごとう
伊藤氏 筒井氏 中内氏 山内氏 和田氏
 
※これは土佐本川郷の国人たちです。
三河三奉行
みかわさんぶぎょう
天野康景 高力清長 本多重次
 
※「岡崎三奉行」とも言い、「仏高力 鬼作左(本多) どちへんなしの三郎兵衛(天野)」というこの三人の性格を表した有名な歌があります。「どちへんなし」とは、「片寄りのない」という意味です。
美濃三人衆
みのさんにんしゅう
安藤守就(範俊) 稲葉良通(一鉄) 氏家直元(ト全)
 
※「西美濃三人衆」とも言います。また不破光治を加えて「西美濃四人衆」という場合もあります。
三好三人衆
みよしさんにんしゅう
岩成友通 三好長逸 三好政康
 
※これは三好家で特にその実力が抜き出た三人の武将です。将軍家や織田信長と繰り返し戦っています。
武蔵四家
むさしよんけ
玉井(たまのい)氏 奈良氏 成田氏 別府氏
 
※これは武蔵の地侍衆の中で最も力のあったとされる家です。ほぼ同格ですが、筆頭は忍の成田氏といわれています。
武蔵七党
むさししちとう
猪俣党 児玉党 丹党(たんのとう) 西党 野与党 村山党 横山党
 
※これは武蔵の土豪たちによって組織された同族集団です。私市(きさい)党・綴(つづき)党を数える場合もあります。
毛利五奉行
もうりごぶぎょう
赤川元康 粟屋元親 桂元忠 国司元相 児玉就忠
 
※これは毛利氏の命令伝達の中枢となる重臣たちです。この下に吉田奉行・山口奉行などが置かれています。
毛利の両川
もうりのりょうせん
吉川元春 小早川隆景
 
※この呼称は本来は上記の個人ではなく「吉川家」「小早川家」を指します。
毛利四人衆
もうりよにんしゅう
吉川元春 口羽通良 小早川隆景 福原貞俊
 
※これは元亀三年に「毛利氏掟」が出されたときの家中の最高幹部たちです。
最上八楯
もがみはったて
飯田氏 尾花沢氏 楯岡氏 天童氏 長瀞氏 成生氏 延沢氏 六田氏
 
※これは出羽の国人衆(一揆)で、最上氏や伊達氏と戦っています。筆頭は天童氏と伝えられます。
八代十三人衆
やつしろじゅうさんにんしゅう
奥野越前守 高橋駿河守 東織部 東主馬 東四郎左衛門尉 東縫殿助 松木左馬頭 蓑田出雲守 蓑田紀伊助 蓑田信濃入道 宮原内記 宮原縫殿助 村山越前守
 
※これは肥後相良氏の支配下八代郡における有力在地領主(地頭)です。この下に「八代三十人衆」もいます。
矢中七騎
やなかしちき
秋山逢殿助 大沢備後 栗原内記 長嶋因幡 福島嘉兵衛 真下下野 松本九郎兵衛
 
※これは長篠合戦で活躍した武田方上野矢中郷の地侍衆で、別名「和田七騎」とも呼ばれています。
山名四天王
やまなしてんのう
太田垣輝信 垣屋続成 田結庄(たいのしょう)是清 八木豊信
 
※これは山陰の名族・山名氏のもとで勇名を馳せた四人の重臣です。田結庄是清は「是義」とも。
由利十二頭
ゆりじゅうにとう
赤尾津氏 仁賀保氏 矢島氏 子吉氏 芹田氏 打越氏 石沢氏 巌(岩)谷氏 潟保氏 鮎川氏 下村氏 玉米(前)氏
 
※これは出羽由利郡の国人たちです。異説もあり芹田氏に代え瀧沢氏を、玉米氏に代え羽根川氏を加えることもあります。
利休門三人衆
りきゅうもんさんにんしゅう
蒲生氏郷 芝山監物(宗綱) 細川忠興
 
※これは千利休門下の武将のうちで、特に茶道に秀でたとされる三人です。
利休七哲
りきゅうしちてつ
蒲生氏郷 芝山監物(宗綱) 瀬田掃部(伊繁) 高山右近(重友) 古田織部(重然) 細川忠興 牧村兵部(利貞)
 
※これは『江岑夏書』によるもので、『利休居士伝書』では瀬田掃部に代え前田利長が。また荒木村重を入れているものもあります。
龍造寺四天王
りゅうぞうじしてんのう
江里口信常 円城寺信胤 成松信勝 百武賢兼
 
※龍造寺氏の重臣です。円城寺信胤の代わりに木下昌直を入れている場合も。
六角の両藤
ろっかくのりょうとう
後藤賢豊 進藤賢盛
 
※これは近江六角家で特にその存在が重きをなした二人の重臣です。
六角義賢六宿老
ろっかくよしかたろくしゅくろう
蒲生賢秀 後藤秀勝 進藤貞治 平井定武 三雲成持 目賀田綱清
 
※これは近江六角家の宿老で、『近江輿地志略』中にこの記述が見られます。
若江三人衆
わかえさんにんしゅう
池田教正 多羅尾綱知 野間康久
 
※これは天正年間に織田信長の下で河内若江の支配を委ねられた三人です。

※これらの呼称中には当時はそう呼ばれておらず、後世の人によって名付けられたものも含まれるものと思われます。(随時追加)