泰綱と慶次

後世に語り継がれる長谷堂城の大激戦。その中でひときわ光芒を放った武将が二人いました。ここでは巷説に残る二人の勇将の活躍をご紹介します。


剣聖の孫・上泉泰綱

 さて、この戦いの様子をもう少し詳しく見てみることにしよう。兼続が長谷堂城を包囲すると、山形城から最上義光の軍勢が出陣、大風右衛門という剛の者が二百ばかりの兵を率いて包囲中の兼続方先鋒大将・上泉主水正泰綱(憲元)陣に攻めかかってきた。この泰綱は剣聖と謳われた剣術新陰流の祖・上泉伊勢守信綱の嫡孫で、会津一刀流の祖として知られる剣術の達人である。彼を信綱の弟または二男とする説もあるが、ここでは嫡孫説を採用して話を進めることにする。
 泰綱は敵に倍する人数を繰り出してこれを押し包み、一人も生きては通さじと奮戦、乱戦となるが、わずかに討ち減らされながらも、大風は長谷堂城内に入る。これを見た伊達の援将留守政景も陣を進め、先陣は長谷堂城下に迫ってきた。

 機は熟したと判断した兼続は総攻撃を命じ、自身は高地に登って石火矢を雨の如く城内へ射込ませ、一帯はさながら「千雷の落ちかゝるが如し」という修羅場と化した。城内の志村光安らも死にもの狂いでこれに応戦し、押しつ押されつの大激戦が繰り広げられた。
 兼続は新手の兵三千を城の裏手へ回して鉄炮を撃ちかけさせるが、城方もまた新手を繰り出し、こちらでも死傷者続出の惨状を呈した。兼続はさらに兵を出して城下に放火させたところ、城方から兜武者八百ばかりが応戦に出陣、にらみあいとなり引き返せなくなってしまう。兼続は引き上げを命じたが、上泉泰綱は侍大将の身ながらも只一騎、敢然と救援に向かって掛け出そうとした。上泉の組に付けられていた大高七左衛門という者が「侍大将たる身が一騎駆けなどなさってはなりませぬ」と強く引き留めたが、泰綱は耳に入れず駆け出し、大高もこれまでと彼に従って敵中へ突っ込んでいった。

 泰綱は敵陣へ突撃していったのだが、彼の陣の兵達はとまどったか怖じ気づいたか、後に続く者はいない。この様子を見るに見かねて、駆けつけて来た豪傑がいた。
 前田慶次(郎)利大。この人物、戦国の傾奇者(奇人)の最右翼である。しかしその実体は、文芸の道にも造詣が深く、実に自由気ままな人生を送った万能武将なのである。その慶次が景勝にぞっこん惚れて上杉家に仕えた。戦場での彼は鬼神の如く強い。これから彼の活躍を少し書いてみるが、彼を語るには小説風アレンジが良く似合う。なお、彼の人物やエピソードについては こちら を参照されたい。


豪傑・前田慶次

 慶次は宇佐美民部らとともに上泉陣へ駆けつけるやいなや、怒鳴りつけた。
「大将の泰綱殿が敵陣へ向かわれたというのに、知らぬふりをしてじっとしておるとは何事かっ! お主ら、それでも侍か。早うかかられい!」
 しかし、兵達は顔を見合わせるだけで誰一人後を追う者はいない。しびれを切らした慶次は、二十騎ばかりを率いて泰綱の救援に馳せ向かった。
 泰綱は敵陣に突っ込み、大高とともに馬を降り、徒立ちとなり槍を揮って戦っていた。面も振らず次々と敵を槍に掛けるが、そこへ伊達勢三百余りが襲いかかってきた。苦戦に陥ったが、戦の前に兼続と意見の食い違いがあり、面子にかけても退くことの出来なかった泰綱は死を決して踏みとどまり、縦横無尽に槍を揮った。そこへ慶次たちが駆けつけてきた。
「泰綱殿、助太刀いたすっ!」
 慶次は宇佐美らと敵陣に突っ込み、正に火花の散る激戦が展開された。この日の慶次の出で立ちは、「黒き物具に猩々緋(しょうじょうひ)の羽織を着、金のいら高の数珠のふさに金の瓢箪付たるを襟にかけ、山伏頭巾にて十文字の鎗を持、黒の馬に金の山伏頭巾かぶらせ唐鞦(とうしりがい)かけたり」という異装であった。馬はご存じ、名馬・松風である。
「前田慶次見参っ! どこからでもかかってこいっ!」
 慶次らはすさまじい戦いを繰り広げ、伊達勢三十人余を討ち取った。しかし伊達勢は数に物を言わせて盛り返し、人数の少ない慶次らは苦戦に陥るが、必死に掛かっては引き、掛かっては引きを繰り返して踏ん張った。そこへ再度兼続からの退陣命令が届いた。
「心得申した」
 兼続の伝令にこう答えた泰綱は、しかし次の瞬間、返答とは裏腹に敵陣へ只一騎で突っ込んでいった。意地でも退く気にはなれなかったのであろう。
「上泉主水である。いざ、討ち取られよ!」
 敵陣深く突っ込んでこう名乗りかけた泰綱は、手当たり次第に槍を揮い、数十人を突き伏せたという。しかし、奮戦もそこまで、遂に力尽きて金原加兵衛という者に討ち取られてしまった。三十四歳であったという。

 あっという間の出来事で、慶次は地団駄踏んで悔しがったが、この機を逃さじと義光勢もどっと押し寄せてきた。しかし横手に上杉方村上国清ら四千が救援に動き出したため、義光・伊達勢は動きを止めた。慶次は再び取って返し、散々敵を蹴散らすが、そこで戦いは物別れとなる。
 やがて本陣へ引き返してきた慶次の姿は壮絶であった。鎧には矢が七、八本突き刺さって折れており、槍は歪み、刃はボロボロになり、人も馬も血で真っ赤に染まっていたという。慶次は上泉陣の前を通りかかると、兵達に向かって大声で怒鳴りつけた。
「お主ら、よくも大将主水殿を捨て殺しにしたものよのう。もはや男の付き合いは出来申さん! 侍と呼べるのは大高殿のみじゃ」
 こう罵られても、陣中からは誰も応える者がなかったという。


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