軍団構成と軍師(参謀)

戦国時代の合戦において、軍団はどのような命令系統で成立していたのでしょうか。また、軍団内で「軍師(参謀)」の占める位置は? 厳密な意味では「軍師」と「参謀」はその性質がやや異なりますが、ここではまとめてご紹介します。

合戦時の軍団命令系統図



軍師の役割と位置

大人数の軍団同士がぶつかると、当然個人の力量よりも、集団としての進退の方がより重要になってくる。いくら戦闘力が高い集団でも、個々がバラバラに戦っていたのでは合戦には勝てない。そこで軍師は大局観に基づいて戦局を分析する。つまり、敵味方の戦意や兵数・天候・時刻・地形等あらゆる状況を把握検討した上で、的確な陣形の選択や軍の進退のタイミングを主君に進言したり、または自身が軍の采配を揮う。
だから、譜代の宿老や重臣クラスと言えども軍師の命令に従って軍を動かした事が多かったので、合戦時においては軍師は主君に次ぐ「ナンバー2」の存在であったろうと思われる。
もちろん大名自身の中にも織田信長豊臣秀吉徳川家康の三傑を始め、武田信玄毛利元就島津義久義弘北条氏康など特に知謀に優れた人物がいたが、やはりこういう人物のいる大名家は強かった。


軍師(参謀)として有名な武将とその主君

片倉景綱(伊達政宗)宇佐美定満(上杉謙信)直江兼続(上杉景勝)
山本勘助(武田信玄)真田幸隆(武田信玄)蜂須賀正勝(羽柴秀吉)
黒田官兵衛(羽柴秀吉)竹中半兵衛(羽柴秀吉)本多正信(徳川家康)
太原雪斎(今川義元)島 勝猛(石田三成)朝倉教景(朝倉孝景)
立花道雪(大友宗麟)角隈石宗(大友宗麟)鍋島直茂(龍造寺隆信)